2012.11.27


 このところ日が暮れるのが早くなって,17:00には暗くなってしまう. そうすると写真を撮って楽しいのは16:00〜17:00の一時間くらいなので,実はちょうどその時間をうまく避ける(?)様に打ち合わせを組み込んでみたいと思ったりはするのだが,当然そんなにうまくいくはずはないし,さすがに趣味の方を優先するのは如何なモノか?と思ったりもするので,結局暗くなってからしか撮れなかったりする.

 Twitterには書いたのだが,怒濤の機材整理が終わり,最後のカメラを発送した. 己の煩悩のせいで増えてしまったカメラやレンズを徐々に減らしていくというのは気分の良いものだが,動機は極めて単純で「現像した後でネガを見た時に,やっぱりこのレンズは違うなぁと思うのであれば,ずっとそのレンズを使えば良いのではないか?」と気が付いたからなのであった.(実は2年前に大怪我をした時にも,その事には既に気が付いていたはずなのだが.笑)

 もっとも,どんなに良いレンズを使ったとしても特に良い写真が撮れる訳では無いというのは,皆の知るところなのであるが.

吉祥寺〜三鷹

2012.11.26 part2

 「言葉とは基本的に雑駁なものだ」という覚悟なしに,言葉を口にして(或いは媒介して)判ってしまうこと,判ったつもりになってしまうことへの危機感. もちろん,TPOは理解した上で(これでも受容度は高いつもり),それでも”ソーシャル”な何かと少し距離を置きたいと考える時のきっかけはいつもそこにある.

 Tweetするようにブログに何かを書く. 写真はオマケ.

三鷹

2012.11.26



 雨になると持ち出すレンズというのが自分にはあって,それは友人から借りっぱなしになっているライカのSummarというずいぶん古いレンズだ. 当時の技術と経年による致し方無い劣化によって,どうしても少しくすんだ色合いになってしまうのだが,そろそろ草臥れだした自分の眼が眺めている雨の景色と妙にマッチしているからだ. このレンズはモノクロでも雨に良く合う.少しベールが掛かった様な質感が,やはり雨の景色によく似合っている.

 今調べてみたら1938年製造ということらしい. 当時日本は前年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争のさなか.ドイツではヒトラーが台頭しオーストリアを併合している. そういう血なまぐさい歴史をもしかしたら目にしてきたかもしれないレンズにとって,晩秋〜初冬の雨に煙る21世紀の東京を見る事が出来るのは,少しは幸せなのかも知れない.

三鷹

2012.11.25 part2

フルサイズ

 ソニーからフルサイズのセンサを搭載したデジカメが発売されて,そこかしこのブログで話題になっている様だ. 「様だ」と書いたのは,自分がKuvat!で巡回している写真系ブログではそれほど話題になっていないから. ところが,FacebookのTLで誰かが「いいね」をクリックしたりシェアしたりしたIT系ブログでは,それなりに話題になっている様に見える.

 自分にとってのフルサイズセンサの意味は何だろう?と考えると,以前にTweetしたんだけど,好きなレンズをいつもの画角で使えるということに尽きる気がする. なので,いかにツァイスのゾナーと言えども(と,言うほどにゾナーというレンズに思い入れというか記憶も無いけど)ソニーのデジカメには別に興味は無いのであった.

 先日も少し話題になったのだが,自分にとっては「いや,別に,フィルムが未だあるんで」というコメントに尽きる.

三鷹

2012.11.25

夕方に地元を散歩する

 あちこちのブログに同じ事ばかり書いているんだが,一枚目の写真の桜並木は自分が子どもの頃はまだ幼木だったはずで,ランドセルを背負った小さな子ども(当時から背が低かった)は,この桜の横をけっつまずきながら小学校へ通っていたはずだ.
 ただし,ここは国立天文台の敷地内なので,現在では桜の季節にこの並木の横に呆然と立ち尽くす事が出来ないのが残念だ. この桜並木の先にはポプラ並木があって,その先には少し広い草むらがあったはずだ.(当時,近隣に小学校が無かったので,天文台が特別に地元の子ども達の通過を許可してくれていたのだと,随分後になってから知った.)

 「人は自分の青春時代が終わったと感じた瞬間に小説を書き始める」という話を読んだことがあって,だから大抵の処女作は青春小説の体裁をとると言う. だとするならば,「人は人生のゴールが見えかけてきたと感じた瞬間から写真を撮り始める」と言っても良いのではないか.

 ・・・さすがにそれは違うか.(笑)

三鷹